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最高裁判所第三小法廷 平成10年(行ツ)19号 判決 2000年2月29日

上告人

日本園芸農業協同組合連合会

右代表者代表理事

寺井信隆

上告人

社団法人日本果樹種苗協会

右代表者理事

寺井信隆

右両名訴訟代理人弁護士

島田康男

同弁理士

尾崎光三

須藤政彦

被上告人

倉方慶夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人島田康男、同尾崎光三、同須藤政彦の上告理由第一点ないし第四点について

一  原審の適法に確定した事実関係の概要は次のとおりである。

1  倉方英藏は、名称を「桃の新品種黄桃の育種増殖法」とする特許第一四五九〇六一号発明(昭和五二年一〇月二四日出願。以下「本件発明」といい、本件発明に係る特許を「本件特許」という。)に係る特許権を有していた。

2  本件特許出願につき手続補正書に添付された明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は、「従来周知の缶詰専用桃品種タスカンを種子親とし、これに花粉親として桃品種エルバーターを交配せしめて本発明者が改良育成した桃品種タスバーターを種子親とし、本発明者が偶発実生の黄肉の桃品種晩黄桃を交配せしめ、得た種子より発芽した植物を選抜淘汰の結果、本文に詳記し、図面に示すように葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し、花は、淡紅色の蕊咲きで、花粉多く自家受精の性質を有し、結実多く、果実は整った円形で、果皮強靱であり、色は黄色地に陽光面に紅暈を現し、外観きわめて美麗であり、果肉は黄色で、肉質きわめて緻密で繊維少なく、粘核であり、核の周囲に着色が少なく、微酸を含む甘味を有し、果頂と底部との味の差がなく、芳香を有する桃の新品種黄桃を育成し、これを常法により無性的に増殖する方法。」である。

3(一)  果樹においては、各形質の遺伝構造は、形質の基になる遺伝因子が相互に影響し合い、メンデルの法則によっては解明し切れない面を有し、同一の遺伝子の構造を有する果樹を交配により再現することは、極めて低い確率でしか成立しない。しかし、遺伝子の構造が異なっても部分的には同一の形質が発現し得るから、育種過程を反復実施することにより同一の形質を有する果樹を再現することが可能である。

(二)  本件発明の要旨は、育種目標とする形質の基礎となるべき遺伝構造の異同にかかわらず、育種目標とする形質自体の獲得の点にある。本件発明に係る黄桃(以下「本件黄桃」という。)の各部分の形質は、その親品種であるタスバーター又は晩黄桃のいずれかの形質を示すものであったり、そのいずれでもなく中間の形質を示すものであったりするなど、種々の様相を示している。もっとも、形質自体の同一性の観点からみると、遺伝学的知見又は育種学的知見に照らし、確率が高いものとはいえないとしても、本件黄桃の育種過程を反復実施することにより、本件発明の育種目標とする形質と同じ形質を有する桃を再現することが可能である。

(三)  本件明細書には、本件黄桃の育種過程において親品種の中間の形質を基準として選抜すべきことが記載されているところ、当業者にとっては、右選抜基準は客観的に認識することができ、明確である。

(四)  本件特許出願当時、当業者が本件黄桃の親品種である晩黄桃を入手することは可能であったが、平成七年に至り、その原木が所在不明となった。

4  上告人らは、平成元年九月一八日、特許庁に対し、本件特許につき無効審判を請求し、特許庁は、平成一年審判第一五〇八二号事件として審理した結果、平成三年一二月一六日、右審判請求は成り立たない旨の審決をした。

5  倉方英藏は、平成七年二月四日死亡し、相続により被上告人が本件特許権を承継した。

二  本件は、上告人らが、本件発明には反復可能性がないから、本件特許は特許要件を欠くなどとして、審決の取消しを請求する事案である。

三  発明は、自然法則の利用に基礎付けられた一定の技術に関する創作的な思想であるが、その創作された技術内容は、その技術分野における通常の知識経験を持つ者であれば何人でもこれを反復実施してその目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体化され、客観化されたものでなければならないから、その技術内容がこの程度に構成されていないものは、発明としては未完成のものであって、特許法二条一項にいう「発明」とはいえない(最高裁昭和三九年(行ツ)第九二号同四四年一月二八日第三小法廷判決・民集二三巻一号五四頁参照)。したがって、同条にいう「自然法則を利用した」発明であるためには、当業者がそれを反復実施することにより同一結果を得られること、すなわち、反復可能性のあることが必要である。そして、この反復可能性は、「植物の新品種を育種し増殖する方法」に係る発明の育種過程に関しては、その特性にかんがみ、科学的にその植物を再現することが当業者において可能であれば足り、その確率が高いことを要しないものと解するのが相当である。けだし、右発明においては、新品種が育種されれば、その後は従来用いられている増殖方法により再生産することができるのであって、確率が低くても新品種の育種が可能であれば、当該発明の目的とする技術効果を挙げることができるからである。

四  これを本件についてみると、前記のとおり、本件発明の育種過程は、これを反復実施して科学的に本件黄桃と同じ形質を有する桃を再現することが可能であるから、たといその確率が高いものとはいえないとしても、本件発明には反復可能性があるというべきである。なお、発明の反復可能性は、特許出願当時にあれば足りるから、その後親品種である晩黄桃が所在不明になったことは、右判断を左右するものではない。

これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第五点について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下において、本件明細書に係る補正が要旨変更に当たらないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官元原利文 裁判官千種秀夫 裁判官金谷利廣 裁判官奥田昌道)

上告代理人島田康男、同尾崎光三、同須藤政彦の上告理由

右当事者間の東京高等裁判所平成四年(行ケ)第一四号審決取消請求事件につき、平成九年八月七日同裁判所において言い渡された判決(以下、原判決という。)には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用を誤った違法、経験則、採証法則の適用を誤った違法、審理不尽または理由不備の違法がある。

第一 本件発明の反復可能性について(上告理由1、2)

一 本件発明の反復可能性の欠如による発明未完成について、原判決は、本件黄桃と同一の遺伝子の構造を有する桃を交配により再現することについては反復可能性は満たされないと認定する一方、形質に着目すると、同じ形質が再発現する確率は、高いものとはいえないにしても、その可能性はあり得るものと認めるのが相当であるとして反復可能性が満たされると認定している。

原判決が右判断の理由として述べるところは次の通りである。

イ 「特許法において「発明」とは「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」(特許法二条一項)をいい、出願に係る発明が発明として未完成のものであるときは、同法二九条柱書にいう「発明」に該当しないものと解すべきである。ところで、技術的思想の創作が「自然法則を利用したもの」といい得るためには、自然力を利用して、反復実施することにより確実に一定の結果を得られることを意味し、このような反復可能性がないときは、その発明は未完成というほかない。」(七九頁二〇行〜八〇頁九行)

ロ 「前記意味での「反復可能性」があるとは、理論的に新品種の育種を再現できることであり、その確率が高いものであることを要求されないのであって、当業者において当該明細書の記載に基づいて確実に一定の結果をもって新品種を再育種できるならば、反復可能性は満たされるとするのが相当である。」(八一頁四行〜一〇行)

ハ 「ところで、本件発明に係る本件黄桃の形質は、……、両親のいずれかの形質を示すものであったり、そのいずれでもなく、中間の形質(「葉縁」等)を示すものであったりするなど、種々の様相を示しており、また、……、果樹における各形質の遺伝構造は、形質の基になる遺伝因子が相互に影響し合い、複雑なものとなり、メンデルの法則によっては解明し切れない面を有するものであることが窺える。したがって、本件黄桃と同一の遺伝子の構造を有する桃を交配により再現することは、きわめて低い確率でしか成立しないと認められる。しかしながら、本件発明の目的は、その発明内容からみて、育種目標とする形質自体の獲得の点にあることが明らかであり、遺伝子構造により桃の新品種「黄桃」を特定することを発明の要旨とするものではない。そして、桃を含む果樹の形質遺伝においては、前記のとおり、その遺伝子構造が複雑であるがゆえに、遺伝子構造の異同にかかわらず、部分的には同一の形質を含む多様な形質が発現し得るものであることもまた、前出乙第一一号証の記載に照らし明らかというべきである。

したがって、これらのことを前提にするならば、本件発明における新品種(本件黄桃)の作出過程(以下「本件作出過程」という。)を反復実施することにより、本件発明の育種目標とする形質と同じ形質が発現する可能性は、現実にはあり得ることであって、このことは、遺伝的知見もしくは育種学的知見に照らしても、容易に理解し得るところである。

そうすると、形質遺伝に係る遺伝子構造の同一の観点からではなく、現実に発現する遺伝形質(特に、育種目標とする形質)自体の同一の観点からみるならば、本件作出過程により同じ形質が再発現する確率は、高い物とはいえないにしても、その可能性はあり得るものと認めるのが相当であるから、この限りにおいて、本件作出過程につき、遺伝形質の面から反復実施の可能性を否定することはできないものというべきである。(八二頁九行〜八四頁一六行)

二 (上告理由1)

遺伝子構造についてはきわめて低い確率であると認定しながら、形質に着目すると、高いものとはいえないにしてもその可能性はあり得ると認定することについては、科学的知見(育種学的知見)に基づく合理的な理由はなく、経験則に反し、理由に齟齬があるというべきである。

イ 目的の黄桃に着目しても、特性として明細書に記載された形質群は三〇項目以上であるから、各形質が交雑により二分の一の確率で現れるとしても同一の結果が再現する確率は二分の一の三〇乗つまり一、〇七三、七四一、八二四分の一となる。

本件黄桃は各形質の組み合わせからなっているから、同一の形質の組み合わせ(形質群)の再現の確率は、各形質の再現の確率とは異なるのである。

このような同一形質群の発現の確率と、桃のような高等植物における未だ科学的に解明されていない遺伝子構造における同一の遺伝子配列の出現確率とを数量的に比較して、同一の形質群の発現確率の方が同一の遺伝子配列の出現の確率より多いから再現性が認められると論ずることは、産業上の利用可能性を予定している特許における再現性(反復可能性)の認定においては意味のないことである。

交配による桃の新品種の育種については、同一の遺伝子構造を有する桃を再現することが数量的にきわめて低い確率でしか成立しないから再現性が認められないのと同様に、本件特許明細書に記載された形質群と同一の形質群を有する桃を再現することは数量的にきわめて低い確率でしか成立しないからやはり再現性は認められないというべきである。

ロ これについて、フランシス・メイヤンが一九四九年スイス連邦知的所有権局に出願した「赤い花のバラ品種」なる特許出願に対して、同知的所有権局が「記述された形質を正確に表現する植物体を得るためには、当該方法で二六九、〇〇〇、〇〇〇の植物体を得なければならない。そのような方法の実施は実現不可能なものである。当該方法は反復できない。」として出願を拒絶している(甲第二九号証の一、二)ことが参考とされるべきである。

ハ 原判決は形質に着目した再現に言及しながら再現の確率については数量的に明らかにすることをせず、「「果物のたどってきた道」の記載にも照らすならば、交雑育種で得た果樹の新品種を増殖、栽培するにあたっては、同じ、交雑育種を繰り返しても同様の品質、特性のものを得ることが困難であることから、再度の交雑育種によることなく、無性増殖の方法を用いることが当業者の技術常識であることが明らかである。」と認定している(一一四頁)。

つまり、原判決は、交配による桃の新品種の育種においては、当業者は形質に着目して行っているが、形質に着目しても、「同じ交雑育種を繰り返しても同様の品質、特性のものを得ることが困難である」と認定しているのである。

従って、原判決は、遺伝子構造の場合には反復可能性がないが、形質に着目した場合は反復可能性があると認定することについて、科学的知見(育種学的知見)に基づく一貫性のある合理的な理由を示しておらず、原判決の右認定には理由不備、経験則違背の違法がある。

三 (上告理由2)

イ 原判決は、本件発明が反復可能性を有することについて、「本件発明の育種目標とする形質と同じ形質が発現する可能性は、現実にはあり得ることであって、」(八四頁三行〜五行)、「本件作出過程により同じ形質が再発現する確率は、高いものとはいえないにしても、その可能性はあり得るものと認めるのが相当である」(八四頁一一行〜一三行)と認定して、反復可能性の判断基準を「現実にはあり得ること」、あるいは、「その可能性はあり得ること」としている。

さらに、原判決は「同じ交雑育種を繰り返しても同様の品質、特性のものを得ることが困難であることから、再度の交雑育種によることなく、無性増殖の方法を用いることが当業者の技術常識であることが明らかである。」から「本件発明を再実施するに際しては、交配から本件作出過程を反復実施することはなく、本件黄桃の原木の分譲を受けるのが通常である」と認定して(一一四頁)、本件発明の反復可能性を認めている。

ロ 「現実にはあり得ること」を反復可能性判断の基準とすることは、突然変異の場合にも反復可能性を認めることになる。

果樹の世界においては、「枝変わり」という現象にも見られるとおり、突然変異はしばしば認められるところであるから、「現実にはあり得ること」を反復可能性の判断基準とすることは突然変異にも反復可能性を認める結果となる。

さらに、原判決は、再実施について「本件黄桃の原木の分譲を受けるのが通常である」として、結果物を無性的に増殖することによって再実施がなされると認める(但し、上告人らは、無性的な増殖の過程を実施しても本件発明を再実施したことにはならず、反復可能性が認められることにはならないと主張するものである。)。

ハ 突然変異によって得られた果樹(物)についても、無性的に増殖し、これを分譲することは当然に行われているから、原判決の右認定(「現実にはあり得ること」を反復可能性判断の基準とし、無性的に増殖することをもって発明の再実施と認める。)によれば、突然変異によって作出された果樹を無性的に増殖する方法(育種増殖法)にも反復可能性が認められる結果となる。

このことは、突然変異による作出には反復可能性が認められないから、特許権は付与されないとする特許法の定説に反するものである。

従って、「現実にはあり得ること」を反復可能性判断の基準とし、無性的に増殖することをもって発明の再実施と認めた原判決は特許法第二九条の解釈適用を誤った違法、理由不備の違法がある。

第二 本件発明の選抜方法の客観性判断の前提事実について(上告理由3)

一 原判決は昭和二八年の選抜(「オの作出過程」)について次の通り認定している。

「(ア)前出甲第二八号証によると、桃の品種育成において一般に行われている交雑育種の過程では、交配年の翌年に得られる実生苗において、葉芽は得られるが、花芽は得られないことが認められる。

そうすると、交配年(昭和二七年)の翌年であるオの過程においては、実生苗から果実を得ることができず、育種目標である前記のとおりの果実の形質による選抜はできないものと解される。」(八六頁)。

これに対して、本件訴訟の対象である本件審決は昭和二八年の選抜(「オの作出過程」)について、果実の特性をも選抜の基準としている。

原判決の認定によれば(一二頁)、審決は、新品種の特性のうち、選抜に当たって格別果実の特性を除くとは認定しておらず、新品種の特性が選抜の基準となると認定している。

ニ そうすると、原判決は本件審決の事実認定を誤りであると認定しており、本件審決が判断の前提とした事実と原判決が判断の前提とした事実とが異なることになる。

イ 審決取消訴訟は、特許権の有効、無効を自ら判断するものではなく、審判審決の判断の適法性(違法性)を審理判断するものであるから、審決が判断の前提とした事実認定が誤りであれば、審決は適法性を欠くことになるから、審決を取り消して、特許庁に差し戻し、審判において改めて原判決認定の事実を前提として審理させるべきである。

ロ 本件特許発明は、果実である桃の新品種の作出を目的とするものであるから、交配して得られた実生苗から選抜するに当たっては果実を選抜の基準とすることが通常であって、果実を基準としない選抜が行われるか、果実をも基準とする選抜が行われるかは、本件特許発明の反復可能性(再現性)の認定に重大な影響を与える。

本件審決は、当業者の技術常識に従って、果実の特性をも基準として実生苗からの選抜を行ったことを前提として、本件特許発明の反復可能性(再現性)の有無を審理、審判したのであるから、昭和二八年の選抜(「オの作出過程」)が、実生苗から果実を得ることができないから果実の形質による選抜はできないと認定したのであれば、審決を取り消して、審判において改めて原判決認定の事実(果実の形質による選抜はできない)を前提として本件特許発明の反復可能性(再現性)の有無を審理させるべきである。

ハ 原判決には審決取消訴訟制度の趣旨の解釈を誤った違法がある。

第三 本件発明の選抜方法の客観性に関して(上告理由4、5)

一 「葉の形質」による選抜(上告理由4)

1 原判決は昭和二八年の選抜(「オの作出過程」)について、果実の形質による選抜はできないものと解されると認定(八六頁一六行〜二〇行)したうえで、「葉の形質」によって選抜が行われたと認定し、「葉の形質」(「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」)は本件発明の選抜方法の客観性を確保すると認定している(八六頁二〇行〜八八頁一五行)。

2 しかしながら、本件特許発明においては、「オの作出過程」では、両親の中間形質を備えていると思われるものを約三種類を選抜することになっている。

ところで、原判決も認定しているとおり、特許請求の範囲において、「葉の形質」は「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」と特定されている。

このように特定された「葉の形質」に基づいて「約三種類」を選抜することは出来ない。

けだし、「約三種類」を選抜するためには、明細書に記載された「葉の形質」が、写真を参照するとしても、三つの具体的基準を表現していなければならないが、本件特許発明においては、「葉の形質」は「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」と単一の基準を示しているに過ぎないからである。

「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉」を有するものを一種類六〇本選抜することは可能であっても、三つの具体的基準が明らかにされていない以上「三種類」を選抜することはできない。

3 従って、「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」と特定された「葉の形質」に基づいては「約三種類」を選抜することは第三者(当業者)には不可能であることが明白であるにもかかわらず、右のように特定された「葉の形質」から選抜方法の客観性が確保され、第三者(当業者)による反復実施が可能であると認定した原判決には理由不備の違法がある。

二 (上告理由5)

原判決は「オの作出過程」において、「幼植物検定法」が用いられる可能性があり、この方法によれば選抜は客観性が認められ、反復可能性が認められると認定する(八八頁〜九〇頁(オ))。

原判決は「幼植物検定法」を生育初期(幼苗期)において、生育後期(成木)においてもまったく同様に発現する形質、もしくは、生育後期(成木)の形質を確認できるような遺伝相関関係にある別の形質を選抜基準として、幼苗を選抜する方法であると認定し、リンゴにおいては、葉の大きさと果実の大きさ、葉形と果形、葉柄の形と果こうの形の間に、それぞれ正の相関があり、葉柄および果こうの長さと果実の重さとの間に負の相関があるとされていることが認められると認定し、そうすると、桃に関する本件発明についても、本件特許請求の範囲に記載された「果実」の形質と、「葉」の形質とが相互に何らかの関連を有するものと推測し得るところであり(発明者においても、その点についての自己の経験的知見に基づいて、「葉」の形質を選抜基準として採用、実施したものと考えられる。)、当業者においても、実生苗の段階において、前記のような「葉」の形質に基づいて選抜することは、十分に意図し得るものというべきであると認定する(八八頁〜九〇頁(オ))。

1 しかしながら、モモの育種において「果実」の形質を選抜する基準として「葉」に着目した「幼植物検定法」が用いられている事実はない。

2 モモにおいては、「葉」の形質と「果実」の形質との間に相関関係は認められていないし、相関関係は認められていないということが当業者の技術常識である。

3 また、「葉」の形質について明細書の記載はあくまでも成木(生育後期)についてのものであるところ(写真も同様である。)、モモにおいては、生育初期(幼苗期)における「葉」の形質と生育後期(成木)における「葉」の形質に同一性があるとの知見は得られていない。

仮に、昭和二八年の選抜においては、「葉」の形質による選抜が行われたとしても、第三者が生育初期(播種一年目)において「葉」の形質による選抜を行うためには、生育初期(播種後一年目)における「葉」の形質が明らかにされていなければ選抜を実施することはできない。

本件特許発明の明細書においては、成木(生育後期)の「葉」の形質が記載されているに過ぎず、生育初期(播種後一年目)における「葉」の形質は記載されていない。

4 右1、2、3によれば、原判決の「幼植物検定法」を理由とする選抜方法の客観性についての判断は、全くその前提を欠いており、「幼植物検定法」により反復可能性が認められるとの判断は経験則に違背するものであり、理由不備の違法がある。

5 そもそも、「オの作出過程」においては、審決は「果実」の存在を認め、原審においても原告らは「果実」は存在しないと主張したが、被告は「果実」の存在を主張し争ったのであって、原判決のいう「幼植物検定法」については全く議論がなされてこなかったのであり、仮に議論がなされていれば上記のような事実に反する認定は生じなかったものと思料されるのであって、原判決は「弁論の全趣旨」の解釈を誤り、経験則に反する違法な事実認定を行ったものである。

第四 親品種の入手手段の確保と発明性(反復可能性)について

(上告理由6、7)

一 (上告理由6)

1 親品種が入手ができなければ、交配による植物創成手段としての育種方法の発明を再現することはできないから、親品種の入手手段の確保は当該育種方法を反復可能なものとするのであり、これを欠く場合は発明は未完成である。

本件発明においても、タスカン、エルバーター及びタスバーターはいずれも公知の品種であるから、第三者(当業者)にとって入手が可能であり、容易であるということができるが、本件新品種の花粉親である晩黄桃は、明細書に本件発明者が朝鮮で発見した偶発実生の品種を日本に持ち帰ったものであると記載されているに留まり、公知であるとは記載されていないし、第三者に入手できることが明らかにはされていない。

本件特許発明においては、親品種である晩黄桃が第三者(当業者)に入手可能であることが確保されていなければならない。

2 入手可能性確保の手段として寄託制度(第三者機関に寄託しておいて希望者には受託者が分譲する制度)を利用することが考えられるが、植物の寄託制度が日本に設けられていないこともあって、本件発明者は親品種である晩黄桃を寄託することをしていない。

3 原判決は、本件発明者である倉方英蔵が、晩黄桃の所在地を示し、本件発明の確認のために役立てるとの宣言をしたことをもって、当業者が本件発明を容易に実施できることになったと認定しているが、倉方英蔵が右のような宣言をしたからといって、寄託制度と同じ程度に晩黄桃の入手が当業者に容易になるわけではない。

現に、本件においては、原告らからの晩黄桃の穂木の分譲依頼に対して、被告らから晩黄桃の所在が不明である、分譲には応じられないとの回答がなされている。

4 本件発明者である倉方英蔵が晩黄桃の所在地を示し本件発明の確認のために役立てるとの宣言をしたことをもって、当業者にとって晩黄桃の入手可能性が確保されたとする原判決の認定は、発明の反復可能性の判断基準を誤ったものである。

発明の反復可能性は、第三者(当業者)が発明を再度実施できるかということであるから、客観的に判断されるべきであり、発明者(倉方英蔵)の宣言という主観的な極めて不確実な事実を根拠にして認定されるべきではない。

発明者が特許の有効性を争う者に対しても親品種を分譲することは何ら保証されていないのであって、分譲しないことは十分予想される。

第三者(当業者)が出発原料(花粉親「晩黄桃」)を入手しうるか否かが、発明者の主観に委ねられている場合には、第三者にとって入手手段が確保されているとはいえず、第三者が本件特許発明を容易に実施できるとはいえない。

原判決は発明の反復可能性の解釈を誤り、特許法第二九条に違反するものである。

二 (上告理由7)

1 原判決は、親品種の入手手段の確保について、「親品種の入手手段としては親品種が出願人(発明者)の事実上の管理下にあり、第三者に提供可能であることが合理的疑いのない程度に明細書に示されていれば足り、……、当該親品種が寄託機関に寄託されていることや、当該発明の特許期間の終了まで常に第三者に提供できることが保証されていることまで必須とするものではない。」(一〇六頁一二行〜一九行)と認定している。

2 しかしながら、親品種の入手手段は生物発明(微生物など)においては特許期間の終了まで第三者の入手手段が保証されていることが必須とされており、植物の発明の場合にのみ「特許期間の終了まで常に第三者に提供できることが保証されていることまで必須とするものではない。」とすることは、他の生物発明との整合性を欠くことになる。

特許期間の終了まで第三者の入手手段が保証されていることが必須とされることについては、そのために、寄託制度が設けられているかどうかとは関係がない。

生物以外の特許においても、特許期間の終了するまで出発物質(出発原料)の入手手段が確保されていることは、当該発明の反復可能性の観点から当然のこととされている。

発明に特許権が与えられるのは、当該発明が第三者によって再実施されるからであり、再実施されないものは特許制度によって実施を特許権者に独占させる必要はないのであり、再実施されないものについて特許権を付与することは特許制度の制度趣旨に合致しない。

従って、再実施(反復可能性)は特許期間の終了まで確保されていることが必要である。

特許期間の終了まで確保されていることは必須ではないとした原判決は特許制度の趣旨を誤ったものである。

3 特許権付与時に、特許権終了時まで再実施が確保されることを証明することは不可能であるから、出願時(あるいは、特許権付与時)に必要とされるのは、特許権終了時まで再実施が確保されることの蓋然性で足ることになるに過ぎない。

第五 本件発明における要旨変更について(上告理由8、9)

一 原判決は「当初明細書における補正前の記載部分は、本件黄桃の花粉親「晩黄桃」の原木の分譲についても、実質的に保証する趣旨を示しており、本件補正は、当初明細書に開示された本出願人の上記保証の範囲内において、出願時に明示されていなかった花粉親「晩黄桃」の所在及び提供手段を明確にしたものということができるから、当初明細書の開示の範囲内において、その記載内容を補正したものというべきである。」と認定し(一一六頁八行〜一六行)、「したがって、当初明細書の補正前の記載部分においても、「晩黄桃」の入手手段の確保は図られていたものとみなすのが相当であり、本件発明は、当初明細書の記載によっても、当業者による反復実施の可能性を欠くものではなかったというべきである。」と認定する(一一六頁一七行〜一一七頁一行)。

改正前の特許法第四〇条は、願書に添付した明細書又は図面についてなした補正(出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前にした補正)が明細書の要旨を変更するものと認められたとき(特許権の設定の登録があった後に認められたとき)は、その特許出願は、その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなすと定めており、改正前の特許法第四一条は、(出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前に)願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において特許請求の範囲を増加し減少し又は変更する補正は、明細書の要旨を変更しないものとみなすと定めている。

従って、原判決は、願書に最初に添付した明細書(当初明細書)には、花粉親「晩黄桃」を第三者が入手する手段(「晩黄桃」の所在及びその提供手段)について明示の記載がないことを認めながら、改正前の特許法第四一条を適用したものである。

花粉親「晩黄桃」の入手手段の確保を、発明者(倉方英蔵)の宣言という主観的な、不確実な事実を根拠にして認定することが許されるかについては右第四において論じたところであるので、ここでは、原判決の認定を前提として、つまり、「晩黄桃」の所在及びその提供手段(倉方英蔵の宣言)を入手手段であるとして、原判決は法令の解釈適用を誤ったことを明らかにする。

二 (上告理由8)

改正前の特許法第四一条は、「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」と規定するから、花粉親「晩黄桃」の入手手段(「晩黄桃」の所在及びその提供手段)が願書に最初に添付した明細書に記載されていなければならない。

つまり、改正前の特許法第四一条においては、補正は願書に最初に添付した明細書に表示されている事項の範囲内でなければならないのであって、出願人が出願当時内心において開示するつもりであったとしても、現実に当初明細書に表示されていなければ、改正前の特許法第四一条の対象とはならない。

本件発明の当初明細書には、公知である種子親タスバータと発明の目的物である新品種「黄桃」の所在と提供手段が記載されているのみであって、発明者が朝鮮で発見した偶発実生の花粉親「晩黄桃」の所在とその提供手段は全く記載されていない。

従って、仮に、原判決が言うように、出願人が花粉親「晩黄桃」の所在を開示しその提供手段を開示するつもりがあったとしても、現実には願書に最初に添付した明細書に表示されていない以上、改正前の特許法第四一条の対象とはならないのである。

従って、改正前の特許法第四一条を適用した原判決には改正前の特許法第四一条の解釈適用を誤った違法がある。

三 (上告理由9)

改正前の特許法第四一条の「記載した事項の範囲」については、直接的な表現によって記載されている事項(明示の記載事項)だけでなく、記載があると認識しうる程度に自明な事項も含まれると解する判例、学説がある。

右の「自明な事項」は、「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項」を基準として「記載があると認識しうる程度に自明か」が判断されるのであって、公知技術や当時の技術水準、出願人の内心の思想等が直接の判断基準となるものではない。

1 本件発明の当初明細書には、公知である種子親タスバータと発明の目的物である新品種「黄桃」の所在と提供手段が記載されているのみであって、発明者が朝鮮で発見した偶発実生の花粉親「晩黄桃」の所在とその提供手段は全く記載されていない。

種子親タスバータは公知であり、品種登録されている品種であるから第三者にとって入手が可能であり、容易であるということができるのに対して、花粉親である「晩黄桃」は、明細書に、本件発明者が朝鮮で発見した偶発実生より選抜淘汰し命名したものを日本に持ち帰ったと記載されているに留まり、公知の品種であるとは記載されていない。

従って、第三者が本件発明(新品種の育種)を実施するには花粉親「晩黄桃」の入手手段が確保されることが特に重要であり、花粉親「晩黄桃」についてその所在及び提供手段を開示することは、公知であるタスバータや目的物である新品種「黄桃」について所在と提供手段を開示することとは、第三者による実施、発明の反復可能性の確保においては、全く異なる意義を有するものである。

2 原判決は「本件発明を再実施するに際しては、交配から本件作出過程を反復実施することはなく、本件黄桃の原木の分譲を受けるのが通常」(一一四頁)と認定するが、これは本件発明が植物創成手段としての育種過程に特許性が認められること(八〇頁〜八一頁)を無視するものである。

本件発明が、請求の範囲に記載されているように育種過程と増殖過程からなるとしても、植物創成手段としての育種過程が反復実施されなければ、本件発明の反復可能性は認められないのであって、無性的な増殖(本件黄桃の原木の分譲)が行われるからといって、本件発明が反復可能性を有するものとは言い得ない。

育種増殖方法の発明について、育種の結果物を無性的に増殖することをもって発明の反復可能性を認めることは、突然変異によって生じた物についてもその増殖は無性的に行われて分譲されることが当業者の常識であることからすれば、突然変異によって作出された果樹(物)を無性的に増殖する方法(育種増殖方法)にも反復可能性が認められる結果となる。

従って、無性的な増殖(本件黄桃の原木の分譲)が行われることから本件発明の反復可能性を認めることは、突然変異による作出には反復可能性が認められないから特許権は付与されないとする特許法の定説に反することとなる。

3 従って、公知であるタスバータ(種子親)と目的物である新品種「黄桃」の所在と提供手段が明細書に記載されていることを花粉親「晩黄桃」の所在と提供手段が記載されていることと同視することは出来ないし、明細書に公知であるタスバータ(種子親)と目的物である新品種「黄桃」の所在と提供手段が記載されていることから、花粉親「晩黄桃」の所在と提供手段が記載されていることが自明であるということもできない。

4 原判決には、改正前の特許法第四一条の解釈、適用を誤った違法がある。

四 右のような花粉親「晩黄桃」の所在と提供手段が明細書に記載されていなければ、本件発明における育種方法は反復可能性を欠くものであり、補正によって、花粉親「晩黄桃」の所在と提供手段を明細書に記載することは、第三者にとって実施不可能なものを実施可能(反復可能)にするのであるから、このような補正は、要旨の変更に当たると言うべきである。

五 右のように解することは、すでに確立されている微生物寄託制度の寄託手続(特許法施行規則第二七条の二)の趣旨にも整合する。

微生物の寄託手続は、出願に係る発明の完成を確認可能とすべく明細書の記載を補完する手続であると解されているところ、寄託手続における受託証等を出願時の願書に添付することと、出願時の願書に添付された明細書中に寄託機関による寄託番号を記載することが義務づけられている。

そして、出願後に右受託証等を補充するための手続補正は現行手続上は認められていない。

六 原判決には本件発明の内容の認定を誤り、改正前の特許法第四〇条、第四一条の解釈を誤った違法がある。

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